インフレ、金価格の上昇、そしてステーブルコインの登場――。
「お金」のあり方が揺らぐいま、改めて通貨とは何なのでしょうか。
金や銀といった実物資産に支えられた貨幣から、国家の信用を基盤とする紙幣、そしてブロックチェーン技術によって誕生したステーブルコインへ。
通貨はその姿を変えながらも、常に「信頼」を媒介に価値をつないできました。
今回、駒澤大学の代田純教授に、通貨の歴史的変遷を踏まえながら、通貨の本質と今後の行方について、そしてステーブルコインがもたらす新しい変化についてお話を伺いました。
プロフィール

代田 純
駒澤大学 経済学部 商学科 教授
1997年、大阪市立大学より博士(商学)を取得。2001年4月より(財)日本証券経済研究所客員研究員を務め、2002年4月に駒澤大学 経済学部 商学科 教授に就任。同大学にて経済学部長、副学長等を歴任。
―― まずは、通貨についてどのようなものなのでしょうか?
まず、「通貨」や「貨幣」という言葉は、英語でいうと currency や money にあたります。厳密には多少の違いはありますが、経済学的にはおおむね同じものを指しています。そして、通貨(貨幣)には「三大機能」と呼ばれる基本的な役割があります。
ひとつ目は「価値尺度機能」です。これは、簡単に言うと“ものさし”の役割ですね。
たとえば、キャベツ1個が100円、200円といった形で「値段」がつきますよね。この価格というのが、貨幣が商品の価値を測る「尺度」として働いているということなります。お金があることで、さまざまな商品やサービスの価値を共通の基準で比較できるようになっているわけです。
二つ目は「交換手段機能」です。
もともと人々は物々交換をしていたわけですが、たとえば「キャベツと魚を交換したい」と思っても、相手がキャベツを欲しくなければ取引は成立しませんよね。
でも「お金」があれば、誰もがそれを受け取って別のものに交換できる。つまり、貨幣は商品と商品をスムーズに交換するための「仲介者」のような役割を果たします。
この機能は、いま私たちが「決済機能」と呼ぶものとほぼ同じです。たとえば暗号資産でも「決済に使える」と言いますが、これはまさに貨幣が持つ交換手段としての側面を指しています。
三つ目が「価値貯蔵機能」です。
これは、価値を蓄えることができるという性質ですね。
わかりやすく言えば、子どもが貯金箱にお小遣いを貯めるようなものです。現金であれ預金であれ、すぐに使わずに将来のために貯めておけるというのは、通貨の非常に重要な役割です。
―― 歴史的に見て、「通貨」というものは、どのように変化してきたのでしょうか。
歴史をさかのぼると、最初の貨幣は「金」や「銀」といった金属でした。
これは摩耗しにくく、長持ちするという理由から選ばれました。金属貨幣の時代は、貨幣そのものが実質的な価値を持っていました。金1枚そのものに価値があるわけです。
ところが、紙幣になると事情が変わります。
たとえば日本銀行が1万円札を作るのにかかるコストは、およそ30円ほどだと言われています。実質的な価値(30円)と名目的な価値(1万円)との間に大きな乖離があるわけです。
金貨の時代は、この差がほとんどありませんでした。たとえば1万円相当の金を買うとき、実質的な価値もそれにほぼ等しい。ところが紙幣では、そのギャップが非常に大きくなっています。
さらに現代では、預金の振替決済など、ほとんどの取引がコンピューター上で行われています。
つまり、実質的な価値がほぼゼロに近いデータ上のやり取りで決済が完了しているわけです。
それでも社会が「これが1万円です」と認めているからこそ、そこに名目的な価値が生まれる。
つまり、お金の歴史というのは、「実質的価値」と「名目的価値」が乖離していく過程でもあります。
デジタル通貨の時代になるにつれて、その乖離はますます広がっているといえるでしょう。
―― 次に、金属貨幣から紙幣、銀行預金、電子マネー(PayPayやSuicaなど)といった形へと変化してきた中で、それぞれの転換点となった要因にはどのようなものがあったのでしょうか。
銀行というのは、もともと「貨幣取扱機関」として始まりました。金や銀を持ち歩くのは重くて危険ですから、人々は金匠(ゴールドスミス)と呼ばれる職人のもとに金属を預け、必要なときに取りに行っていました。宗教上の背景もあり、欧州ではユダヤ人が多く担ったと言われています。
ところが、預かる側には金庫などの貯蔵コストや盗難リスクがありました。
そのため、金匠たちは「預かり証」(銀行が支払う手形)を発行するようになり、これがのちの銀行券(紙幣)の原型になります。
初期の紙幣には当然、金や銀の裏付けがありました。いわゆる「兌換紙幣」です。
その後、「金の裏付けがある」という前提のもとで、国際的に金本位制という仕組みが確立され、銀行制度が次第に信頼を集めていきます。
そして預金口座の間でお金を振り替える「決済」ができるようになったことで、通貨の形態が大きく変化していきました。
要するに、どの時代においても共通しているのは「政府や中央銀行など、広い意味での“公的機関”が『これがお金です』と認めること」。
この承認があるかどうかが、通貨として成り立つか否かの最大の転換点です。
デジタル通貨でも同じで、国家が「通貨として認める」と決めて初めて、社会の中で“お金”として流通するわけです。最近、金融庁がステーブルコインの発行を認可しましたが、まさにこれです。
―― 金や銀といった“モノ”から、電子マネーというデータに変わっていく過程では、非物質化が進んでいますよね。この変化に伴って、通貨のリスク管理という面でも、昔と同じような課題が残っているのでしょうか?
基本的には、形が変わってもリスクは常に存在します。
金や銀の時代は、それ自体に価値がある分、偽造のリスクは相対的に小さかったですが、やはり「偽造」や「盗難」といった問題はつきものでした。
現代では日本は世界でも珍しいほど偽札の少ない国で、誰も日常生活で「これ偽札じゃない?」なんて疑いません。
でも、ヨーロッパでは現金を受け取るとき、透かしを確認するのが当たり前です。それくらい偽札の発生率が高い。現金や紙幣への信頼度が日本ほど高くないため、CBDC(中央銀行デジタル通貨)導入への抵抗も少ないわけです。
そしてデジタル通貨になると、今度はハッキングやデータ改ざんのリスクが出てきます。
ブロックチェーン技術は確かに“改ざんが極めて難しい”仕組みですが、「不可能」ではありません。
実際、ロシアや北朝鮮などの外国では国家ぐるみでハッカーを育成し、暗号資産(仮想通貨)を盗難しようとする動きも報告されています。
物理的な金庫からデジタルのセキュリティに変わっただけで、本質的には同じリスク管理が求められているわけです。
―― いまステーブルコイン(法定通貨担保型)は話題ですよね。通貨の機能が新しい段階に進む転換点にも見えます。先生はどう捉えていますか?
新聞報道でも話題のJPYCのような動きが始まると、海外送金(クロスボーダー決済)が速く・安くなる可能性があります。
これは企業にとっても個人にとってもメリットが大きい。手数料低下とスピード向上は、実務的な効果が非常に大きいと思います。
――今回のステーブルコインでは、これまでのように“誰かを介する”のではなく、直接的な取引が行われるようになりますよね。そこでお伺いしたいのですが、こうした仕組みの中で、「信用」や「信頼」を生み出す主体そのものが、技術へと移り変わっていると捉えてよいのでしょうか。
ブロックチェーンは分散型の共通台帳を皆で持つ仕組みですよね。
原理的には仲介機関が要らなくなる方向です。銀行や証券会社など、これまで金融を仲介してきた機関の存在価値は相対的に低下する可能性がある。
ただし、足元でいきなりそうはならない。発行主体や流通に法的な制限がかかっており、規制の枠内で進むからです。
むしろ当面は、銀行や証券会社にとって新しいビジネスチャンスにもなり得ます。
それから「信用創造」=お金を貸すという銀行の本質的な役割は、デジタル通貨になっても原理は変わりません。貸出行為が続く限り、信用創造は残ると思います。
―― いま議論されている“預金のトークン化”まで含めると、銀行の役割は今後どうなっていくでしょうか。
短期(数年スパン)で見れば追い風だと思います。
新規発行の主体が銀行等に限定される場面が多いので、銀行にとってはポジティブに働く。
一方で、暗号資産等の個人向け販売は証券会社に限定される方向という報道もあります。そうなると、すべてが銀行に有利というわけでもない。
それでも、デジタル通貨の発行・運用に関与できるという点は、銀行にとって大きい。総合すると、当面はプラス寄りに見ています。
―― 既存の電子マネーや銀行預金と、ステーブルコインはどう異なるのでしょうか?
まず、電子マネーを狭い意味で捉えると、Suica/PASMO、nanacoのようなICカード型や、PayPayのようなQRコード決済ですね。クレジットカード連携もありますが、基本は現金チャージ型です。カード連携でも最終的には自分の預金口座から引き落としになります。
要するに、現金やカードの延長線上にあるわけです。
一方でステーブルコインになると、起点は当面銀行預金からの振替だとしても、現金との相関が弱まっていく方向にあります。
たとえば日本で議論されているJPYCのような仕組みは、預金通貨からの“振替”で発行され、現金は登場しない。
その意味で、現金との結びつきは薄くなっていくと言えると思います。
―― ステーブルコインは、既存の金融システムとどう整理・統合していくのがよいでしょうか?
ここは結局、CBDC(中央銀行デジタル通貨)をどうするかが大きいです。デジタル通貨には大きく二つあります。
- 民間ベースのデジタル通貨(ステーブルコイン等)
- 中央銀行が発行するCBDC
このCBDCの方向性が民間のデジタル通貨にも強い影響を与えます。
各地域のCBDCに対する温度感をざっくり言うと、日本は消極的、ヨーロッパは比較的積極的、アメリカは後ろ向きという印象です。
他方で中国はかなり前から前向きで、デジタル人民元の実証を進めてきました。
ただ、中国はもともとアリペイやWeChat Payなど民間のキャッシュレスが極めて普及しているので、「今さらデジタル人民元をどの用途で広く使うのか」という難しさもある、という状況ですね。
―― ヨーロッパは、CBDCの“意義”をどこに置いているのでしょうか?
理由はいくつかありますが、大きいのはドルからの自律性です。
キャッシュレスを進めようとすると「まずカードを使おう」となりますよね。
でもカードのネットワークはVISAやMastercardが握っている。決済情報を米系に握られることへの警戒感がヨーロッパは強いです。
だから自分たちで独立した仕組みを作る、その一環としてデジタルユーロという考え方が出てくる。
もう一つはマネーロンダリング対策です。現金は匿名性が高く、脱税や不正資金のやり取りに使いやすい。
CBDCなら一定の追跡・管理が可能になる、その意義も大きいわけです。
―― 最後に、通貨の将来をどう見ていらっしゃいますか?
現金は消えないと思っています。
たとえばヨーロッパでは、オランダやスウェーデン、フィンランドなどで現金支払い比率が大きく低下し、“現金お断り”の店やATMの大幅減が進みました。でも同時に、福祉の縮小や格差拡大も指摘され、本当に生活が厳しい層はスマホを持てない現実がある。高齢者の利用ハードルも高い。
こうした背景から、銀行がATMを増やす、“現金拒否は認めない”方向の法整備を進める動きも出てきています。
だから、将来を見据えても、現金が完全に消えることはない――私はそう見ています。
